和が家の道

こんにちは。

一気に秋を通り越して冬に近づきましたね。

体調管理に気をつけましょう。

 

さて、和が家の介護について。

自分は今から29年前この介護の世界に入りました。

当時はまだまだ介護というか看護助手みたいな位置付けだったと思います。

老人保健施設のいわゆる一般棟(今で言う寝たきり病棟)で勤め始めました。

当時は安静第一なので上記の寝たきり(寝かせきり)になるのですがケアなき時代なのでそういうことになります。

そこから1年半後に異動し今度は痴呆棟に働き始めました。

ここでも痴呆という名の通り認知症ケアが確立していない時代なので、本人が危ないことや汚いことをしないように身体拘束や鍵がかかり自由に外に出れない回廊などの環境で本人たちと向き合いました。

ケアなきケアの時代なのでこれでいいのか?もっとできることがあるのではと様々な提案や実行を行いました。

具体的には今では当たり前な尊厳を守り自立支援へのケアです。

食事や排泄が自分でできように。そして外出。一つ一つの当たり前のことを行うにあたり、本人たちの表情が全然違うんですね。ここからですね「当たり前をあたりまえに行う」ことの大切さを学んだのは。

姨捨山なんて話しがあるように、世間ではわからないものや厄介なものは分離・隔離をするので施設という括りになるのですが、時代は進み介護保険前夜では施設でもユニットケアの登場や、オムツ外し学会など、そして民間の宅老所運動などでケアというか、人としてあたりまえのケアの実践が進みました。

そして自分自身も介護福祉士を取得し、満を持して在宅の世界に飛び込みました。

施設は管理できますが、在宅では管理するようなケアはできません。

それはもう、利用者に振り回される毎日でしたが2000年に介護保険に突入。

そこからはもう怒涛の日々ですね。措置時代がなくなり保険事業になるのですから、利用する方の人数が桁違いに増えもう本当色んな体験をしました。でも、そこが醍醐味でありとても勉強になりました。

市内初の重度対応デイサービス(今で言う中規模デイ)や、認知症デイサービスを中心な役割で担いつつ、そこから、介護支援専門員の取得でケアマネのキャリアを積み。

そして、特別養護老人ホーム。

在宅での経験を活かしユニットケアに挑戦するも、これが難しく俗に言う幻のユニットケアを日々追い求める日々。。

さらに中間管理職の大変さを身にしみて感じ退職に。。

今思えば力不足なのですが、、

 

とは言え、

まだ見ぬ想いを胸に夢にまで見た(笑)宅老所の実践を行うべく生まれたのが、

「宅老所 和が家」です。

長い。。

と言うことで、

つづきます。